presented by 木下製粉株式会社
知っているようで
意外と知らない
うどんメニューのルーツ
讃岐うどんの歴史を様々な角度から深掘りしてきたこの連載もいよいよ最終回。最後のテーマは「メニュー」です。現在香川県内では、かけをはじめ、ざる、釜あげ、ぶっかけに釜玉、果てはお店のオリジナルまで様々なうどんが提供されていますが、果たしてこれらのメニューはいつ頃から食べられているのでしょうか? 今回はそれを紐解いて行きましょう。
かけうどんは最初は
ぶっかけと呼ばれていた?
まずはかけうどんとつけうどん。この2つは最も初期のメニューだと思われます。うどん自体がいつ頃から食べられていたのかは、第1回でも触れた通り諸説ありますが、ダシ作りに欠かせない醤油が庶民に広まったのが江戸時代中期以降なので、恐らく成立したのはその後でしょう。
17世紀にできた「うどん・そば切り」という看板を出した麺ではうどんがメインでしたが、後に江戸では蕎麦が主流になって蕎麦屋がうどんを食べさせるようになりました。「かけ」という名前も、かけ蕎麦に由来していて、せっかちな江戸っ子がつけて食べる「盛り蕎麦」のつゆを、麺に直接「ぶっかけ」たのが元で、ぶっかけが縮まってかけになったとも言われています。
醤油の普及以前は「煮貫」や「垂れ味噌」という味噌を使ったタレに付けて食べていたという記述が、江戸時代初期の「料理物語」のうどんの説明にあるので、「つけ」の方が古い気もしますが、いずれにせよ現在のようなかけうどんやつけうどんの形になったのは、中期から後期頃と推察されます。
かけうどんが登場して間もない江戸末期には、天ぷらやかやく、玉子とじ、しっぽく等、かけうどんの上に具を乗せるスタイルのメニューが既に提供されていました。またこの頃、鍋焼きうどんの屋台もあったようです。
しっぽくは一説には長崎の「卓袱料理」の一品である、煮た野菜が入った麺料理が由来だと言われていて、こちらもしっぽく蕎麦が先のようです。今では全県で食べられますが、元々西讃では知られていませんでした。また高松市や綾歌郡の南部では「しっぽこ」と呼ばれていて、同名の野鳥の肉を使ったからこの名前になったという話も。しっぽくと具がほとんど同じメニューに「打ち込みうどん」がありますが、調味料をほとんど使わずに作ることができることから考えると、これが一番古いメニューだった可能性もありますね。
意外と歴史が浅い
ざるうどんと釜揚げうどん
次につけうどんについて考えてみましょう。先述したように味噌ダレにつけるスタイルは江戸初期からありましたが、醤油ベースの今のようなダシで食べられるようになったのは、恐らくかけうどんと同じく江戸中期から後期。様々なつけタイプの中でも、皿に麺を盛る「もり」や、一昔前まで法事などでふるまわれる事が多かったのに、今やお店から姿を消しつつある「湯だめ」が最初期のメニューのようです。
ざるに麺を盛る「ざるうどん」の起源も諸説ありますが、県内では「川福」が昭和27年に正式にメニューに載せています。元々大皿にうどんを盛った裏メニューだったものを、常連客だった大平元首相や金子元知事らに「ざるそばのようにしてみれば」とアドバイスされたのだそう。
つけタイプの人気メニューに「釜揚げうどん」もありますが、こちらは起源がはっきりしていません。茹でたままの釜揚げ麺を水で締めず、そのままいただくというスタイルは、家庭や店のまかないなどで古くから食べられていたのでしょうが、店で食べるメニューとして認知されたのは昭和50年代以降だったようです。釜揚げの名店として知られる「長田うどん」でさえ、昭和52年刊行の「随筆うどんそば」で「本格湯だめうどんの店」と書かれているので、当時の釜揚げの認知度が測れます。長田の釜揚げうどんは、店の近くに作られた国道32号線の工事の際に店を訪れた作業員が、時間を惜しんで釜で茹でた麺をそのまま食べさせて欲しいと頼んだことがきっかけで、正式メニューに昇格されたそうです。
近年湯だめはお店のメニューから姿を消しつつありますが、同じく絶滅危惧種になっているのが「冷やしうどん」。ガラスの器にサクランボを乗せたスタイルが懐かしいという人も多いでしょう。氷が入ったキンキンに冷えた水に浸すという現在の様式が出現したのは、冷蔵庫が一般に普及した昭和50年以降でしょうが、単に水で冷やして涼をとるという食べ方は古くから行われていたようですが、こちらもいつ頃なのかは定かではありません。
最もプリミティブなメニューを
エンターテイメントに
3つ目は「醤油うどん」。かけでもつけでもなく、醤油をかけるだけのスタイルは、ある意味麺に重きを置きすぎる香川県民向けの究極の食べ方かも知れません。一昔前、冷蔵庫にあったうどん玉に醤油をかけて食べた人も多いでしょう。この子供のおやつとも料理ともつかないメニューも発祥は分かりませんが、お店のメニューに昇華したのはまんのう町の「小縣家」です。自分で大根をおろすというエンターテイメント要素を加えた醤油うどんは、一躍人気メニューに。加えてより美味しく食べるためのダシ醤油の進化も、このメニューのお陰かも知れません。
ぶっかけうどんはお客さんの
わがままから生まれた?
4つ目は「ぶっかけうどん」。うどんにつけダシを文字通り「ぶっかけ」て食べるメニューです。先ほどかけの由来はぶっかけと書いた通り、語源はほぼ同じなのが面白いですね。こちらも由来は色々あるのですが、県内で最初期にぶっかけうどんをメニューに載せていたのは、かつて美術館通りにあった「源芳」だったようです。
県内で最初に店名に「ぶっかけうどん」を名乗った「大円」が開店したのが昭和63年。大円の大将は修業時代、岐阜で食べた「コロ」という冷たい麺に濃いダシをかけるうどんを思いだして、お店の看板メニューにしようと思いついたが、この食べ方が香川県でどう呼ばれているのか分からない。同僚に尋ねると、源芳でぶっかけという名前で提供されていると聞いたのだそう。
源芳から伝え聞いた話では、近くの雀荘にざるうどんを配達した際、両手が塞がると麻雀を打ちにくいので、麺に直接かけろと言われたことが、このメニューの誕生に繋がったとか。県内にはもう1軒、ぶっかけうどんのルーツと言われている善通寺の「山下うどん」がありますが、こちらも「つけて食べるのがめんどくさい」という客のリクエストで始めたと先代大将が言っていたので、どちらが先かはさておき、客の無茶振りによって生まれたメニューなのは間違いないようです。
余談ですが、「山田家」でぶっかけを頼むとかけうどんが出てきますが、これは山田家をプロデュースした和田邦坊が、昔の呼び方を採用したため。ぶっかけうどんが人気になった後、お客さんが混乱するようになってしまいました。山田家でぶっかけうどんを食べたい時は「ざるぶっかけ」というメニューを頼みましょう。
讃岐うどんを高級店まで
引き上げたかな泉の功績
次に注目したいのは店構え。かつて県内で隆盛を誇った「かな泉」は、個室やお座敷がある立派な店舗を作り、庶民の食べ物だったうどんをおもてなしに使える高級店に昇華した立役者です。また当時は珍しかった店頭での実演手打ちもいち早く取り入れました。県内には何軒ものかな泉の流れを汲む店がありますが、中でも宇多津町の「おか泉」、高松市の「もり家」の弟子には、かな泉の影響が色濃く感じられます。また丸亀市の「つづみ」、綾川町の「はゆか」とうどんがある喫茶店「スタート」、観音寺市の「うまじ家」もかな泉ファミリー。もり家からは、高松市の「瀬戸晴れ」と「麺むすび」、善通寺市の「あかみち」、土庄町の「ます家」とそうそうたる面々が並んでいます。うまじ家からは三豊市の「もり」、はゆかからは高松市の「ますや」と「のぶ屋(閉店)」が出ていますから、かな泉自体はなくなってしまいましたが、今だに香川のうどん界に大きな痕跡を残していると言えるでしょう。ちなみにもり家の大将は、かな泉社長の甥です。
釜玉うどんはお巡りさんが
色んなお店に伝えた?
ラストは「釜玉」。このメニューは、平成のうどんブームの時に、「山越」と一緒に一躍脚光を浴びました。店の向かいの派出所の警察官が、持参の丼に生玉子と釜揚げ麺を入れて食べていたことに由来するメニューですが、実はそれ以前に東かがわ市の「吉本食品」でも大内署の警察官が同じような食べ方をしていたという証言が。その後その人が綾南へ転勤になったそうなので、山越前の派出所に勤務していた可能性があります。また同じく東かがわ市の老舗店「六車」にも釜玉とほぼ同じの「釜ぬき」というメニューがあるので、釜玉の発祥には東かがわ市に何か秘密があるのかも知れませんね。
起源が明確な物からあやふやな物まで様々なメニューについて触れましたがいかがでしたか。皆さんがうどんを食べる際の一助になれば幸いです。
木下製粉株式会社
香川県坂出市高屋町1086-1
tel.0877-47-0811
公式サイト https://www.flour.co.jp/
通販サイト https://www.farina.co.jp/
篠原 楠雄
地元タウン誌編集部で14年間在籍した後独立し、フリーライターに。20年間に渡り香川県内に新しくできるうどん店を取材し続けたおかげで、すっかりメタボ体質に。「麺通団」の初期メンバー・S原だが、ふが悪いので普段は名乗るのを控えている。好きな食べ物は柿ピーとあんまん。
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