vol.21

第三回:世代を超えて受け継がれるもの |讃岐うどんの系譜をたどる

presented by 木下製粉株式会社

讃岐うどん界の師匠と
弟子の関係とは?

 前回、前々回と讃岐うどん界が現在の形に至るまでの歴史に触れてきましたが、今回はもう少し身近な話題について。それはうどん店の師匠と弟子です。他の食べ物と同じく、讃岐うどんでも師匠から弟子へ、さらに孫弟子へと様々なものが受け継がれているのですが、ではそれは一体どんなものなのでしょうか?

弟子の目印は木の葉型の
天ぷらが乗った天ぷらうどん

 まず見た目で分かりやすいのは、お店のメニューです。有名なところでは、エビの周りの衣が木の葉のような形に整えられた天ぷらが乗った天ぷらうどん。三豊市高瀬町の「渡辺」のオリジナルメニューですが、実はこの木の葉型の天ぷらこそ渡辺のお弟子さんの目印。弟子の高松市の「義経」、三豊市の「喰回」と「かつや」、丸亀市の「丸亀渡辺」と「龍」の天ぷらうどんには、しっかり天ぷらが乗っています。しかし同じ弟子筋でも、丸亀市の「歩」と孫弟子(丸亀渡辺の弟子)の「竹寅」の天ぷらは木の葉型じゃありませんが理由は不明。余談ですが「丸亀渡辺」は「渡辺」の親戚です。

うどん屋の様々な要素にその
影響を残す琴平の名店・宮武

 もう一つ有名なメニューでは「ひやあつ」。冷水で締めた麺を温め直すことで僅かに失われるコシを嫌がって、冷たいままの麺に温かいかけダシをかけるという、麺のコシ原理主義のうどん県民を体現したような食べ方です。今では多くのお店で見られるようになりましたが、元祖は琴平町の「宮武うどん店(閉店)」。「宮武ファミリー」と呼ばれる弟子筋には、このメニューが必ずあり、怪しい製麺所ツアーブームと一緒に有名になりました。弟子は、まんのう町の山の中にある「やまうちうどん」と綾川町の「松岡(閉店)」、そして暖簾を引き継いだ高松市の「宮武うどん」。さらに、やまうち弟子の丸亀市の「山とも」、高松市の「あたりや(閉店)」、高松市の宮武の弟子の「聖風うどん(閉店)」など、そうそうたるメンバーが揃っていますね。それぞれのお店には、宮武の特徴であるコシの強いねじれた麺と、オプションの藤原屋(閉店)の天ぷらも継承されていました。
 ちなみに、やまうちと松岡は宮武の親戚、あたりやはやまうちの甥っ子。なお、宮武のダシは奥さんが担当していたので大将が教えてくれなかったため、弟子筋のダシはあまり似ていないのだとか。以前宮武の大将から「ワシは魚(イリコ)のダシすかんのじゃ」って聞いた時はひっくり返りました(笑)。また宮武の師匠はまんのう町の「山神」で、こちらも藤原屋の天ぷらを置いていました。宮武の麺がねじれているのは、手切りで切っているからだそうなんですが、丸亀市の「よしや」の麺も同じようにねじれています。よしやの大将は宮武に弟子入りを頼んだのですが「もう弟子は取らん」と断られ、独学で同じような麺を作る技を習得したのだとか。これもある意味継承と言えるでしょう。

飯山の人気店・なかむらの
歴史は色々複雑

 独特の麺と言えば丸亀市飯山の「なかむら」。「グミのよう」とも言われる加水率の高いうどんは最近の流行りですが、その元祖的なお店です。なかむらの先々代がうどんを習ったのは、土器川沿いにあった伝説の製麺所「西森」。先々代の妹が西森に嫁いでいたのが縁で、作り方を教えてもらったのだそう。そして先代の大将は、店を引き継ぐ前は大阪でうどん屋をやっていて、そこでうどん打ちを担当していたのが弟の丸亀市土器町の「中村」の大将(ややこしいな)。先代は当時うどんが打てず弟から作り方を習ったとか。その後香川に帰った先代が店を継ぎ、現在の大将は先代の次男。長男は家を出て三豊市で「いしかわ家」を経営していますが、ダシにイワシではなくウルメを使っているのはなかむらと同じです。また高松市の「一福」は土器町の「中村」の弟子で、同じく高松市の「まさ屋」は一福の弟子。どの店でものど越し抜群のあの系統の麺が食べられます。

徳利に入ったダシから見える
往年の長田うどんの人気ぶり

 「釜あげ」も今でこそどこの店にもありますが、元々つけ麺タイプのメニューはざると湯だめしかありませんでした。その釜あげを人気メニューにしたのがまんのう町の「長田うどん」。旨みたっぷりの香り立つ熱々のダシが徳利に入って出て来るという独特のスタイルは、長田の調理を担当していたご夫婦が独立した善通寺市の「長田in香の香」や、店の立ち上げ時に職人が長田へ習いに行った高松市の「わら家」でも採用されています。この方式は大人気だったようで一昔前は模倣するお店も多く、丸亀市の「木村(閉店)」では徳利の代わりに土瓶にダシが入れられていました。大将は「そのままマネするのはアレかと思って」と言っていましたが、お茶と間違えてダシを注ぐ客が絶えなかったそうです(笑)。

讃岐うどんを高級店まで
引き上げたかな泉の功績

 次に注目したいのは店構え。かつて県内で隆盛を誇った「かな泉」は、個室やお座敷がある立派な店舗を作り、庶民の食べ物だったうどんをおもてなしに使える高級店に昇華した立役者です。また当時は珍しかった店頭での実演手打ちもいち早く取り入れました。県内には何軒ものかな泉の流れを汲む店がありますが、中でも宇多津町の「おか泉」、高松市の「もり家」の弟子には、かな泉の影響が色濃く感じられます。また丸亀市の「つづみ」、綾川町の「はゆか」とうどんがある喫茶店「スタート」、観音寺市の「うまじ家」もかな泉ファミリー。もり家からは、高松市の「瀬戸晴れ」と「麺むすび」、善通寺市の「あかみち」、土庄町の「ます家」とそうそうたる面々が並んでいます。うまじ家からは三豊市の「もり」、はゆかからは高松市の「ますや」と「のぶ屋(閉店)」が出ていますから、かな泉自体はなくなってしまいましたが、今だに香川のうどん界に大きな痕跡を残していると言えるでしょう。ちなみにもり家の大将は、かな泉社長の甥です。

まだまだあります、
師匠と弟子の関係

 この他にも師匠と弟子の関係が垣間見えるお店はたくさんあります。高松市の「松下製麺所」の甥は「たも屋」創業者ですが、どちらにもうどんとラーメンを混ぜる「アベック」というメニューがあります。また「とり天ざる」で人気の高松市の「はりや」は、このメニューを始めたと言われるさぬき市の「源内うどん」の弟子。高松市の「うつ海」と丸亀市の「つよ志」は、高松市の「さか枝」の弟子ですが、どのお店も太くコシの強い麺と独特のダシがよく似ています。
 このように師匠から弟子へと受け継がれるのは、麺の打ち方はもちろん、特徴的なメニューや店の形態まで様々。うどんを食べる時に少し気にかけておくと、うどん屋さん巡りの際のスパイスになるかも知れません


木下製粉株式会社
香川県坂出市高屋町1086-1
tel.0877-47-0811
公式サイト https://www.flour.co.jp/
通販サイト https://www.farina.co.jp/


篠原 楠雄
地元タウン誌編集部で14年間在籍した後独立し、フリーライターに。20年間に渡り香川県内に新しくできるうどん店を取材し続けたおかげで、すっかりメタボ体質に。「麺通団」の初期メンバー・S原だが、ふが悪いので普段は名乗るのを控えている。好きな食べ物は柿ピーとあんまん。

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