よみもの

愛媛県・石鎚神社|vol.16 四国文化遺産

魂の還る山

祭りの前の静けさ。山頂から御神像が降りてくる一時にのみ訪れる静寂。皆が思い思いの時を過ごす。この後まさか境内が、群衆の熱気に包まれた空間に一気に変貌するとは想像もつかなかった

神域を神域たらしめるのは、結局人の意思だということ

 膨大な書物と触れていると、覚えている文章というのは、限られてくる。その中で特に印象的だったものの一つが、四国で死んだものの魂は、この山から天に登っていくという話。多分読んだのは学生時代だったが、初めてその山に登ったのは読書から10年近い歳月が経った頃だった。

 下界は雨で、登山中も一面はガスで覆われ、視界が抜けることは皆無。しかしその現実感の無さが、日本七霊山と呼ばれるこの山の神秘性を、より一層際立たせていた。大量に纏わりつくコバエの猛攻に耐え、断崖絶壁の一の鎖と二の鎖を登り、そして難関の三の鎖を抜けた先には不思議と虫がいない。そして目の前に聳える西日本最高峰の頂は、驚くほど巨大な切り立つ磐座だった。ゆっくりとそこを上がり、垂直の北壁から恐る恐る崖下を覗き込むと、強烈な上昇気流が自分を突き抜け、そのまま天に登っていったのを今でもはっきり覚えている。
 そこからすっかりかの山の魅力に取り憑かれ、何年か連続で山開きの日に登山を繰り返すこととなった。鎖場を登る時に毎回思うのが、鎖や迂回路が全く無かった時代、人はどうやって山頂に辿り着いていたのだろうかということ。聖地は開かれ、意思さえあれば誰もがアクセスできる場所となった。

御神像を背負った者を持ち上げ紐で引っ張る。あらゆる方向から加わる膨大な力が、個々の意思とは関係ない群衆の動きで可視化される。その渦が3つもあるのだから、本殿前の境内は予想もつかないカオスとなる

本殿に入ったと思ったらまた引っ張られて出てくる。祭りは終わらない

 山開きの間、山頂に祀られるのが、全国で唯一直接触れられる御神体と言われる三体の神像。山頂に運ばれた像が、再び下ろされて来る神事は特に強烈だ。像を背負った者を皆で担ぎ上げ、何度も社殿の中に収めようとするが、ロープに引っ張られすんなりとは入らない。まるで神様が家に帰るのを嫌がって駄々をこねているよう。集中する人の意識が、よりこの山の聖性を高めてゆく。そう、石鎚という誇り高い名と共に。

祭りの後の男衆の満面の笑み。下界では滅多に見れない素顔だ

土産物屋のおばちゃん。長年祭りの男たちを見守ってきたのだろう

御神像を担ぐ男衆とは別に、その傍らでも途切れることなく祈りは続く

小豆島から参加した者もいた。ここは海も山も関係ない最後の聖地

法螺貝を吹き合う子どもたち。石鎚の伝統は受け継がれ、未来に続いていくと確信している

父を見守る家族に出会った。神事に臨むその姿を我が子に見せることこそが、実は一番大事なことなのかもしれない


写真・文
宮脇慎太郎
1981年生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、日本出版、六本木スタジオなどを経て独立。在学時より国内外に旅を繰り返したが、2009年の奄美大島での皆既日食体験を期に完全に高松に着地した。2016年より瀬戸内国際芸術祭公式カメラマン。専門学校穴吹デザインカレッジ講師。2021年香川県文化芸術新人賞受賞。主な著作に「曙光」「霧の子供たち」「UWAKAI」「流れゆくもの 屋久島・ゴア」などがある

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Miyawaki Shintaro

1981年生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、日本出版、六本木スタジオなどを経て独立。在学時より国内外に旅を繰り返したが、2009年の奄美大島での皆既日食体験を機に完全に高松に着地した。2016年より瀬戸内国際芸術祭公式カメラマン。専門学校穴吹デザインカレッジ講師。2021年香川県文化芸術新人賞受賞。主な著作に「曙光」「霧の子供たち」「UWAKAI」「流れゆくもの 屋久島・ゴア」など

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