神様は生活の中の願いと苦労の隙間に存在する
稲の育苗は「鶴の機織り」のようなものだという。その心は、決して中を開けてはいけない。苗はデリケートで温度変化に弱いため、遮光シートで覆って一定の温度を保つ必要がある。
苗の健やかな成長を祈って、県内各地では神社が配布する「ゴーサン」や「マットメサン・マツノミヤサン」と呼ばれる御札をたて、花と共に焼き米や正月に搗いた餅を供える。かつては入排水の便の良い田の一画に苗代を作り、そこで苗を育て、水を引きいれる水口にお札を立てた。
苗の緑化が終われば、シートを外して硬化期に入るが、そこで初めて苗を見ることになる。写真の苗を育てる矢野さんは、「どうしても場所によって成長具合に差が出る。未だ成功したことが無い」という。育苗は強い稲を育てるために最も大事な工程だが、天候や虫害等の自然環境に左右されることも多い。そうなると神様の出番である。讃岐の田の神様は、生活の中の願いと苦労の隙間に存在している。
近年では、育苗センターから苗を購入する農家が増えたことにより、苗の成長を見守る田の神様も、段々と消えゆく風景となっている。
民俗考01_讃岐の田の神信仰
「二月に山の神が田に降って田の神となり、秋が終つて十月又十一月に、山に登つて山の神となりたまふという言ひ伝へは、恐らくは日本の隅々、どこに往つても聴かれるほどの通説である」
「田の神の祭り方」
日本各地の田の神伝承が、田と山を去来(行き来)する性格を持つことを指摘した柳田国男による有名な説である。確かに、神様はそこに常駐すると考えられてきたわけではない。祭りに際しては臨時に神様を迎える長い依り代(オハケとも呼ばれる)を立て、祭りが終わればまた依り代を倒して神様を送る。田の神についても、春に田に降りてきて、秋になればまたどこかへ帰っていくと考えられていたようで、香川においてもそういった伝承は多く存在する。
それにしても、讃岐の田の神信仰は複雑で、一口に田の神といっても様々な神様が複層的に存在している。例えばゴーサン、サンバイサン、オカノカミ、ジジンサン等であり、それぞれの神様に応じた祭りが執り行われる。これら様々な田の神への複層的な信仰を具にみていくならば、単に田の神が山と田を去来する伝承のみが香川に存在しているわけではないことが分かる。本稿では、田の神に関する儀礼とそれに付随する去来伝承を整理しつつ、本県の田の神信仰の様相を概観してみたい。
水口祭り
「春稲種ヲ下ス時水口祭トテ苗代ノ水ロニ保食神ノ璽ヲ立、蒔余餘リタル籾ヲ熬リ、ハタキテ供フ、是ヲ棚焼米卜云、ソノ餘リハ親キ家二贈リナドモスルナリ、又此日正月二飾リタル門松ヲ蓄へ置テ雑炊ヲ煮ル家モアリ」
『西讃府志』
稲の育苗は「鶴の機織り」のようなものだという。その心は、決して中を覗いてはいけない。苗はデリケートで温度変化に弱いため、遮光シートで覆って一定の温度を保つ。苗の緑化が終われば、シートを外して硬化期に入る。育苗は強い稲を育てるために最も大事な工程だが、天候や虫害等の自然環境に左右されることも多い。そうなると神様の出番である。
苗の健やかな成長を祈って、県内各地では「ゴーサン(高松東部)」「マットメサン(西部)」と呼ばれる神社が配布する御札をたて、花と共に焼き米や正月に搗いた餅を供える。

大宮八幡神社(高松市屋島中町)配布の御札
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