建築考04_細川家住宅が積み重ねた暮らし

 細川家は代々この地で暮らしてきた農家であるが、どのような経緯でこの地での暮らしが始まったかについては伝わっていない。ただし、250年前には現在の細川家住宅が建設されていることから、山間地域ではあったが外部との交流も十分になされ、建築技術なども十分に伝播していた地域であったと考えられる。
 現当主の細川文夫さんは、高校を卒業するまで細川家住宅で生活をされており、当時の暮らしについてお聞きした。まずは、夏の涼しい室内の心地よさについて印象深い思い出とのことだった。風の通る室内に蚊帳を吊るし、兄弟と勉強したり、話をして過ごしていたそうだ。細川家住宅の茅葺屋根は一度も金属板等で覆った記録が無いそうで、茅葺屋根のもつ断熱性能が室内の涼しさをより高めていたのだろう。
 文夫さんが生活されていた頃には、土座には床板が張られ、南側と北側が襖で仕切られ、南側を「みなみざ」、北側を「だいどころ」として使用されていた。また、復原された竹床の「ざしき」には畳が入れられ、生活環境の改良が行われていた。畳の間へと改修された「ざしき」にて、4人の兄弟と祖父母と寝起きされていた。両親は、細川家住宅の西側に建つ納屋を改修した建物で寝起きをされていたとのことで、当時の暮らしぶりが伝わってくる。細川家住宅には納屋の他には収納スペースが限られており、「ざしき」北側の「とこ」を「ものおき」に改修され、物が手に入りやすくなった時代を反映させた姿へと変化していった。水回りの設備は室内には設けられておらず、家の東側を流れる沢の水を利用されていたようだ。復原工事前には入口外西側に小便器と五右衛門風呂が設置され、大便器は住宅から少し離れた南側に小屋が建てられている。
 普段は太陽と共に生活することが当たり前で、朝5時過ぎには起床し、太陽が沈めば早めに就寝する日常であったようだ。文夫さんは高松市内の高校へ通学するため、片道1時間程度バイクで通う生活だったと言う。現在は町までの道がかなり整備され快適になったが、当時は舗装もされておらず、大変な道のりだったそうだ。特に冬期は積雪のある地域であったため、積雪の量によっては休まざるを得なかったと言う。家に居ても吹雪いている時には、屋根と壁の隙間から雪が吹き込み、厳しい寒さを体験されている。ただ、文夫さんは慣れてしまえば、どうにかなるもんよ。と建築に合わせた順応した暮らしがあったそうだ。冬場には、大きな火鉢に火を入れ、暖を取っていた。この大きな火鉢を家族みんなで囲みながら楽しい時間を過ごしたのだろう。現在その火鉢は文夫さんが暮らす住居の前で金魚鉢として使われているが、この火鉢が持つ歴史を知ると今後も細川家の暮らしを伝える大切な道具の一つとして残していってほしいと思う。

 文夫さんが学生時代の細川家の生業は農業と林業が生活を支えていた。畑では、米を中心に栽培し、サツマイモや麦なども作られており、山の際まで畑が広がっていたと言う。また、祖父からは家を建て替えるよりも山を買った方が良い。という会話があり、集落に住む多くの人が山を所有し、農業だけではなく林業を営まれていた。定期的に山の木は切り出され、まとまったお金になったのだろう。木の伐採や運搬などは専門の業者に任せており、山林の保全が仕事だったと言う。現在も細川家住宅の周囲は山林に囲まれているが、林業が盛んだった頃は、人の手が入った美しい山だったはずである。今では人家の前まで猿や猪が出没し、農作物を荒らす被害が発生すると言う。昔は猿や猪が人家まで出没することはなかったらしく、森の管理ができなくなり、人と動物の距離が近くなったことを寂しく思われているように見えた。山を管理するために不要な樹木は伐採され、その樹木は炭に加工され販売していたと言う。炭焼小屋は細川家住宅の南側の谷違いに設けられ、幼い頃は祖父に背負われて小屋まで連れて行かれた思い出をお聞きした。文夫さんにとって細川家住宅の前に広がる山には多くの思い出が詰まった特別な風景なのだろうと強く感じた。

建築考05_民家を楽しむために

 文化財建造物にとって工法や材料、建設年代、地域性などは重要な要素であり、保存修理工事の際には、その価値を損なうことがないように工事が実施される。建築という形の有る有形文化財であるため、当然の配慮ではある。しかし、その価値一つ一つを見学者に理解してもらうことが必要かと言うと、そんなことは無いのではないかとも思う。
 では、見学者に何を理解して欲しいのか? 文化財建造物は「大きなタイムマシーン」だと思っている。民家であれば、建築空間や周囲の環境に身を置くことで、数百年前の人と同じ風景が目の前に広がり、流れる風、包み込む音から、その民家が持つ歴史的な営みに触れられるのではないだろうか。内部空間からは人の動きや各部屋の役割が見え、民家の営みがよく表れている。擦り減った部材があれば、そこに人の動きを強く感じるように、傷一つ一つに営みの痕跡が残されている。その痕跡の意味を知ることで、より深く民家の魅力を理解できるのではないだろうか。
 各地域の歴史的な営みを知るには、書物等から推測する方法もあるが、やはり建築空間に身を置く空間体験には、書物等からでは感じ取ることができない立体的な歴史的な営みに触れることができる。民家研究の権威として数多くの民家の保存に関わられた伊藤ていじは「民家は、その地方の身分証明書」と語るように、民家を通して、その地方・地域に所縁のある全ての人に語りかけてくるものがある。ただし、建築という箱のみを保存する方法では、暮らしや営みを感じ取ることは難しい。だからこそ、暮らしや営みも含めた保存に取り組むことが民家の活用にとって重要であり、住民の方からの証言は、建築の価値と両輪を成すものと考える。
 香川県内には、5件の重要文化財民家があるが、建設当初の位置に建ち続けているものは、小比賀家住宅と細川家住宅の2件のみである。小比賀家住宅は支配階層であった庄屋格の邸宅であるため営みについても華やかな部分が多分にあり、地域の文化水準の高さを示す。その一方で細川家住宅は、山間民家として慎ましい庶民の暮らしがあり、多くの方が共感できる穏やかな営みの痕跡を見つけられるはずである。

建築考06_おわりに ―暮らしに拘る―

 人生最大の買い物と言っても過言ではない住宅購入。「古民家なんて」、「中古住宅なんて」と切り捨てる選択は見直した方が後悔の少ない選択になると思う。「持続可能」という言葉をよく聞くが、これだけ空家が増えているにも関わらず、何故こんなにマンションが建設され、宅地分譲が続いているのか。新築の住宅やマンションは古民家のように100年先も住み続けることができるのだろうか。その一方で、1,000万円も掛ければ快適に住み続けられる築100年を超える民家の解体が相次いでいる。瓦屋根の家が減った理由も耐震性能の問題等もあるだろうが、瓦屋根の持つ耐久年数が求められなくなったとも言えるのではないだろうか。メンテナンスに費用を掛けることが悪いかのようにメンテナンスフリーを打ち出す建材は何年持つのだろうか。
 働く場所に縛られない仕事の仕方が増えている。だからこそ、どこで暮らすかにもっと拘りを持つべきだと考える。選択された場所には、長い年月を掛けて造り込まれてきた民家が残されているはずである。拘って選択した場所だからこそ、地域の魅力が詰まった拘りの民家が欲しくなるのではないだろうか。

文:石田真弥/1985年静岡県生まれ。公益財団法人文化財建造物保存技術協会技術補佐員、独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所アソシエイトフェローを経て、2020年から香川県教育委員会の文化財専門員(建築)として勤務。県内の文化財の保存・活用を通して文化財の魅力を発信をしている。


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