
高松市中心部の美術館通り北側に面する約7m×10mの空間には、1960年代の香川県が詰め込まれている。店内北面の壁面は、ニューヨークで開催された万国博覧会と繋がり、店内を包み込む音は、東京オリンピックと繋がる。この小さな喫茶店が世界と繋がっていた。常客には、牟礼町に住居を構えたイサム・ノグチや現代音楽家の武満徹など、多くの文化人や日本銀行高松支店が現在の高松市美術館が建つ地(道を挟んだ向い)に構えられていたことから、当時の日銀総裁などの経済人が多く訪れていたと、開業当初から今も店に立たれる馬場順子さんは語られる。
「イサム・ノグチさんは、いつもお店の真ん中の席に、スピーカーの方を向いて座られて、全体の調和を感じられていたのかしら。いつも同じ席だったわ。来店される時は一人が多くて、静かに考え事をされていることが多かったわ。」、「山本(忠司)さんもいつも石のスピーカーの前の席に座られ、空間全体を見渡せるこの席を好んだわ。」など、長年店に立たれていたからこそ、お聞きできる話がたくさんあり、1960年代の香川県・高松市の語部の一人となっている。
北面の前川國男が設計した万国博覧会日本館のために試作された壁面も、石彫は流政之がデザインし、地元の岡田石材工業で加工されたものである。この石材は、島根県松江市の大根島石(玄武岩)が用いられているが、約20万年前の火山活動でできた溶岩であり、独特の力強い質感を持つ。店に据えつける前には、加工場の近くの浜辺に石を並べ、飛行機を飛ばし、空から全体のバランスを確認していたそうだ。なんともスケールの大きな、この時代らしいエピソードを持つ。

店内の調度品のうち、椅子は山本忠司が設計したもので、身長が190cm近くあった山本が設計しただけあって、ゆったりと座れるサイズとなっている。開業後、金子知事からジョージ・ナカシマの椅子に変更してはどうか。という話もあったそうだが、「ゆったりしたこの椅子が良い。」ということで、変更せず修理を重ねながら使い続けられてきた。各テーブルは、ジョージ・ナカシマがデザインした家具を製作している高松市牟礼町の桜製作所のテーブルであり、桜製作所の家具のアイコンとも言える材と材を接合や材の割れを防止するために用いられるチギリ(蝶ネクタイ型の部材)が付く。「この机を挟んでお見合いをされる方や重要な商談をされる方もたくさんおられたのよ」、「昔は待ち合わせにもよく利用されていたから、待ち合わせの時間に遅れそうな時には、お店の電話が鳴ってね、お客さんをお呼びしたりもしたわ。電話機もお客さん用とお店用の2台分の電話線を引いていたのよ」と、人と会うことが不自由な時代だったからこそ、心が温まるような魅力的な場面もたくさん目にされてきたのであろう。




店内東面には中讃の方から伐り出されたと聞く松の板材が帯鋸で挽かれた加工痕が残るままの仕上げで横一文字に大胆に取り付けられ、北面の石壁とは大きく雰囲気の異なる仕上げとなっている。この木板の壁面には、瓦用の土を焼いて製作されたものと考えられる大ぶりな間接照明が取り付けられており、間接照明から漏れる光が板材を照らし、帯鋸の加工痕に美しい陰影を与えている。この間接照明の瓦土カバーは県有施設(栗林公園、県議会棟)でも用いられているが、他の施設ではスツール(背もたれや肘掛けの無い一人掛けの椅子)の座面として使用されており、使用方法が異なる。この座面については、山本忠司の関与が考えられるが詳細については謎が多い。その他、店内各所には台湾(店内西面)やイタリア(カウンター)で採石された石材が用いられ、石材店のショールームと見間違うような贅沢な空間が拡がっている。と感じてしまうのは実は間違いでは無く、この建物の改修を始める際には、石材加工等を担当した岡田石材工業の打ち合わせスペースとして改修計画が進んだ時期があるためである。
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