讃岐一景を訪ねて

讃岐一景を訪ねて_vol.08

町並みのなかの駅舎建築

 琴電屋島駅舎が解体される———老朽化、災害による被害…傷んだ建物をそのままにすれば危険なのは周知の事実で、仕方のないことといえばそうなるが、個人が残したいと希望したところでどうにかなったのだろうか。ひとつの小さな駅舎を守るだけでも、かなりの費用がかかるし、場所の問題もある。
 町並みの形成過程において、駅舎はほかの建物とは異なる意味を持っているように思う。鉄道がひかれ、そこに駅ができると、人が行き来し、まちが発展する。琴電屋島駅は屋島の発展を象徴する存在だったのだ。駅舎がなくなったあとの町並みはどうなるのだろう。
 未来のまちをつくるのは、現代を生きる私たちだ。まちがどのように変化してきたかを知れば、まちがどんな魅力を秘めているのか、未来に何を遺していきたいか、自然と浮かんでくる。

地域考01_高松にもあった洋風駅舎

 香川県内の駅舎を調べるなかで、明治43(1910)年に建てられた二代目高松駅舎のことを知った。昭和35(1960)年に焼失した、洋風の二階建て木造駅舎である。屋根は天然スレート葺きの寄棟+マンサード型に4つのドーマー窓。正面に放射状の羽目板張りをセットバックさせ、その中央に大時計を配す。外壁は下見板張り。上げ下げ窓の腰壁には材を交差させ、北欧のハーフティンバーを思わせる意匠が施されている。下屋を支える柱は両脇に頬杖をもち、「駅舎らしさ」を醸し出す。駅舎の正面には円形に植栽があり、車廻しになっている。「香川の明治建築」という本に高解像度の写真が掲載されている。

旧高松駅舎(1910~1960) ※1より転載

 焼失した当時、駅舎の機能は新駅舎に移行されており、この木造駅舎は保存が検討されていたさなかに火災に見舞われた。空襲を耐え抜いた立派な駅舎だけに残念な結末であるが、高松にもこんなかっこいい駅舎があったのかと嬉しくなった。


地域考02_そのまちを象徴する駅舎

 私は大学時代、長野に住んでいた。
 建築史の授業で、平成9(1997)年に解体された旧長野駅舎(昭和11(1936)年建設)について聞いたことがある。善光寺詣りの玄関口として、善光寺本堂と対をなすような仏閣型・銅板葺屋根の立派な駅舎があった。しかし、北陸新幹線の開通や長野オリンピックに向けた観光客への対応のため、駅舎建て替えの話が上がる。その教授は反対運動をしたものの、駅舎はやむなく解体されてしまったという。当時は移築案なども出たようだが、主な躯体が鉄筋コンクリート造で、木造と違い移築が困難だったこと、長野オリンピックの時期が迫っていたことなど、様々な要因から実現には至らなかった。

旧長野駅舎(1936~1997) ※2より転載

 この仏閣型の旧長野駅舎が建てられる少し前から、駅舎にはその地域の郷土色を表現した建物であるべきという理念があったようである。九州の玄関口として栄えたネオ・ルネサンス調の門司港駅(福岡県・大正3(1914)年建築)や、出雲大社の玄関口である和風建築の旧大社駅(島根県・大正13(1924)年建築)がそうである。この2つの駅舎は現在、国の重要文化財として保存されている。門司港駅は現役の駅舎として使われ続けており、旧大社駅も観光・交流拠点としてリニューアル工事が行われ、今年4月に一般公開された。

 現在の長野駅については、当時の仏閣型の意匠を惜しんだ地域の民意を反映し、信州の木材を使用した大庇と、12本の壮大な列柱を善光寺口に向けた駅ビルとなっている。柱にはそれぞれ巨大な提灯が掲げられ、夜にはそれがぽわんと灯る。私は実際にはこの長野駅しか知らないが、嫌いではない。
 しかし、この場所にあの仏閣型の銅板葺屋根があったら、どんなにかっこよかったかと度々思う。善光寺の門前町には今も歴史的町並みが残り、観光や参拝の人々で賑わっている。一方で、参道から1本横道に入れば観光客向けの店舗は姿を消し、宿坊が静かに建ち並ぶ。善光寺のあるまちが、すべての人々を受け入れる寺のまちであることを、駅舎でガツンと示し続けて欲しかったと思う。


地域考03_近代化における駅舎、これからの駅舎

 鉄道会社の所有する構造物はインフラの一部であるため、時代にあわせて作り変えられていくことは、自然なことなのだろう。しかし地方都市にとって、駅舎は、まちに一番初めにできた「知らない場所へとつながる扉」だったのではないだろうか。それが自身の住むまちを象徴する建物であれば、来訪者を迎え入れるたびに誇りに思っただろう。近代化を象徴する異国の意匠であれば、なおさらワクワクしただろう。まちを発展させ支えてきた駅舎は、支えられてきた者たちが強く望み、動かなければ残らない。四国のどこかの駅で、木造駅舎解体後に喫煙所のような小さな箱を代用駅舎としている事例を見かけた。
 これからの時代に、自分たちのまちにどんな駅舎が必要だろうか。電車を待つ、迎えに来る家族を待つ、共に出かける友達を待つ。そんな人生のちょっとした時間を、包んでくれる駅舎。想い入れのある場所が残り続けることは、そのまちへの愛着につながると思っている。

参考文献
上野時生,―大正・昭和の原風景―香川の明治建築,香川県建築設計監理協会,1983
四国新聞,“かがわ 昭和100年物語=第2話 高松駅舎 港と一体、古里の玄関口”,2026,https://www.shikoku-np.co.jp/bl/digital_news/photo.aspx?id=K2025041400000001500, (参照 2026-09-01) ※1
信濃毎日新聞社編,写真記録 昭和の信州,信濃毎日新聞社 ,1990 ※2
株式会社JR東日本建築設計,“長野駅善光寺口開発プロジェクト”,2026,https://www.jred.co.jp/design/03.html, (参照 2026-09-01)

文:豊田真友/1995年生まれ。独立行政法人国立高等専門学校機構明石工業高等専門学校建築学科→信州大学工学部建築学科→同大学大学院建築学専攻を修了(梅干野研究室)。株式会社文化財保存計画協会にて技術員として勤務後、香川に移住。県内の歴史文化を楽しく勉強中。

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