純喫茶ライター | 山地 美奈
高松を拠点に活動するフリーライター。地元の月刊誌で長年編集長を務めた後、独立。香川の店や人、食文化を独自の視点で取材し、愛情とユーモアを交えながら紹介している。自費出版冊子『PR.Kagawa』シリーズを手がけ、喫茶店を特集した『LOVE KISSA』は、発行から1週間で777冊を完売した。2019年11月逝去。
寄稿:2019年2月4日

三つ子の魂百まで染み付いた喫茶イズム
そもそも私の喫茶歴は長い。生まれて間もなくデビューした。実は高知県生まれの私。幼少の頃、家庭の事情で祖母に育てられた私は、生粋のおばあちゃん子だった。ハイカラな祖母が喫茶好きという影響をもろに受けた。高知県はもう何十年も前から喫茶のモーニング文化が根付いている地。祖母も毎朝、化粧して、お昼や夕飯の買い物がてら毎日のように常連の喫茶に向かうのが日課だった。その喫茶の名前は忘れてしまったが、今その店の光景は今でも鮮明に覚えている。「いつものね」と祖母が言えば、トーストとサラダ、ゆで卵が付いたモーニングと湯気立つ珈琲カップがテーブルに運ばれてきた。私は最初の頃こそミックスジュースを飲んでいたそうだが、3歳の頃には祖母の真似をして珈琲にチェンジ。近所のおじさんが新聞を読み、ママが常連と笑顔で話す風景は日常で、祖母も煙草をふかしながら自分時間をゆったりと楽しんでいた。そんな祖母の姿を見て幼な心に憧れを抱いていたのが私の喫茶イズムの始まりだろう。明日の朝も祖母とあの喫茶に行けるとワクワクしていた思いは今なお色濃く私の心に残っているからスゴイ。
幼稚園を機に香川県で両親と暮らすようになった私は、休みの度に高知に出向き、祖母と毎朝喫茶に行っていた。祖母の真似をして「いつものね」と言うのが何だか誇らしく感じていた。小中高まで春休み、夏休み、冬休みは必ず祖母と喫茶に行く。それが楽しみだった私は、中学生の頃からお小遣いを片手に、県内の喫茶にも出向くようになった。今思えば、ちょっぴりおませな気もするが、友達も珈琲好きな子がいたため、高校生の頃には何度も地元の喫茶で恋愛話に花を咲かせていた。大学進学で東京に行くとさらにその思いは開花。下北沢が近く、常連の店を見つけ、足繁く何度も通いつめた。どこか懐かしい雰囲気とマスターとの距離感、カウンターに座る醍醐味。いつしか、喫茶は私にとって心の解放区であり、永遠のスタンダートとして、日常に欠かせない存在となっていた。
自分甘やかしができる。喫茶は日常の中の余白
今やおしゃれなカフェも数十年前に比べ県内にも多く増え、サードウェーブコーヒーブームにより珈琲難民になることはなくなった。その反面、高齢化や後継者問題で惜しまれながら閉店を余儀なくされた名店喫茶もある。もちろんカフェも大好きだけど、やはり私は喫茶好き。その店が醸し出す漂う空気感、しつらえ、重厚感…。ゆっくりと静かに時を刻んできた店は、多くを語らずとも不思議とマスターの喫茶美学がストレートに反映されている気がする。初めて訪れる店でもなんだか「ただいま」と言いたくなるような、アットホームで心地よい時空間が出迎えてくれるから。店の世界観が凝縮されたコースターやマッチ箱も小さなアートだし、訪れる程に新たな発見と魅力にハッとする瞬間がある。それが最大の喫茶の魅力だと感じている。常連は自分なりの喫茶哲学なるものを糧に通いつめ、店の風景の一部に欠かせない存在であるカウンターに立つマスターやママの押し付けのないやさしさにそっと身を委ねる。相性が合えば、すぐ様、恋に落ちてしまう、一目ぼれにも似たトキメキが胸を熱くさせる場所。それこそが喫茶。ナポリタンやホットケーキ、プリンアラモードなどド定番な軽食があればさらに胸は高鳴り、ワクワク感が止まらなくなる。だからこそ、一気に飲み干すにはもったいない、丁寧にハンドドリップで抽出した珈琲をゆっくり味わうように、一滴ずつその喫茶の良さを味わいたくなる滋味深さがある。
そう思えば、私にとって喫茶はきっと吸血鬼のような存在かもしれない。時間も心も全部吸い取られてしまう、いい意味で「無」になれる場所。だからこそ自分のフィルターを通して、これからも喫茶という癒しのエアポケットの中でまどろみ続けるのだろうと思う。
地元タウン誌の編集時代から続く、長いくされ縁でした。私たちは、香川のあちこちに転がる小さな出来事を、いつも一緒におもしろがっていました。彼女は、なかなかのヘビースモーカーでした。車のドアを開け、煙草をくわえたまま現れる姿は、まるでワイルドハンター。近寄りがたい雰囲気をまとっているかと思えば、ふいにニカリと笑い、こちらが心配になるほど深く腰を折って頭を下げる。そんな人でした。
彼女がタウン誌を辞め、フリーライターとして歩きはじめた頃、IKUNASで純喫茶の記事を書いてほしいとお願いしました。最初に届いたのが、上記の原稿でした。そこに綴られていたのは、こちらの編集意図とは少し異なる、彼女自身の記憶と喫茶店への思いでした。結局、書き直してもらった原稿を誌面に掲載しましたが、その後ほどなくして、彼女は帰らぬ人となりました。
いつか、この原稿を、彼女がライターとして遺した最後の文章として世に送り出してあげたい。ずっと、そう思ってきました。そして先日、山地さんとも親しかった、あるデザイナーが旅立ちました。私が香川でデザイナーとして、最もギラギラしていた時代。その頃の風景を知る人たちが去り、ひとつの時代が幕を下ろしたように感じています。
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