↑ 今も大切に使っている、愛機の11インチMac。そして、手元に残る一冊のリーフレット。どちらも、デザインだけを頼りに、あちらこちらへ走り回っていた頃の自分を思い出させてくれます。
東京から戻って右も左もわからず、身につけたスキルだけを頼りに、地方でデザインを生業としていた。そんな時に見つけたひとりのデザイナーの姿は、「デザイナーはこうでなければならない」という閉塞感にもがいていた私に新たな視点を与え、デザインという概念を大きく広げてくれ、2006年に始動したデザイン活動「IKUNAS」をはじめる初動になりました。
2000年初め、高松のカフェブームを牽引した「カフェ ウミエ(umie)」。主宰者であり、デザイン会社ドリームネットワークアクティビティ(D.N.A)代表の柳沢高文さんと縁あって、kitahama blue stories(2017年12月15日にオープン)の立ち上げ前に、柳沢さんのアトリエでトークセッションが行われました。今回、その内容を改めて転載し、デザインを通して新たな何かを興そうとした言葉を、ここに残したいと思います。
転載を快諾してくださった現D.N.A代表の川井さん(本稿の取材・執筆)に、心より感謝申し上げます。
柳沢高文さんは、2026年8月14日、71歳で逝去されました。生前のご厚意に深く感謝し、謹んでご冥福をお祈りいたします。

デザインで香川をもっと面白くしたい。
柳沢:そもそも出会ったのは10年くらい前?何か仕事をお願いしたんだよね。女性向けの商品だった。当時、実は僕はデザインに心あらずで、なんだかやらされてる感じ、そういう時代だった。僕はumieを始めて、月ちゃんはIKUNASをつくってた。最初は小さいサイズだったね。
久保:柳沢さんには、お仕事がきっかけでumieでコーヒーを一緒に飲んだときに、「私なんかつくりたいんです!」って宜言はしたような気がします。笑 そのあとですね、始めたのは。
柳沢:そのとき一緒にやった仕事は、まさしく消費のためのデザイン、プレゼンのためのデザイン。何十案もつくるとか。その中で自分が持ってるものは表現できない気がして。ブランディングの立ち上げの時点ではすごく素敵だったイメージも、売れなきゃいけないってどんどん最初のコンセプトから変わってきたりね。そんな時代に、僕はカフェをやったし、月ちゃんは雑誌をつくって、自分が素敵だと思うものをデザインする仕事を、オーダーを受けてじゃなくて、やりたいことを続けてきた。
久保:ちょうど地方のデザインの転換期がくるんですよね。柳沢さんが自分のデザインをみせる場をサービスとして提供していて、それを見て、やったらいいんだ、と始めたのがIKUNASです。それが自分の活動(デザイン・思考)の「見える名刺」みたいになった。
柳沢:消費的なデザインが先細りしていく中で、名前を出していくことで、今デザイン事務所として仕事につながってきてるというのはあるよね。本づくりをメディアづくりとしてやった月ちゃんは、その本の通りの広がりをみせたでしょ?僕は空間やイメージ、集客とか心地よさとか、そっちの方向に今の仕事は向かっているよね。これは結果であってやってみないと分からない。umieもみんなに、すぐ潰れるやろ、って言われてたから。笑
久保:なんで両方とも続いたんでしょうね。見てくれてる人たちがいてくれたこと。タイミングもあるだろうし、なかなかできそうでできないことをやってしまったという。それを面白がってくれてる人達がいた。幸いにして。
柳沢:カフェならちょうどリノベーションって言葉が生まれたし、月ちゃんだと伝統、日本、地域デザインとかが始まっていった。別に狙ったわけじゃなくて、本当にやりたいこと、好きなことをひたすらにやった結果。デザイナーとしての嗅覚で、時代のちょっと先が見えてるんじゃないかなと思う。流行りみたいなことじゃなくて、本当に人生をかけてやってるとね。だから今も残ってるというか、意地でも続けていくってことかな。僕の時代はバブルがはじけて、急にみんなが去っていって、クライアントも漬れた時に打ちのめされたのがきっかけだった。
久保:私の場合は、単純に本がつくりたかったという好奇心が強かったような気がしますね。2002年に東京からこっちに戻ってきたけど、ずっと編集デザインをやってきて、東京とやり方が違うことに、ちょっとフラストレーションが溜まってきていて。その頃、スローライフというキーワードが出てきて、雑誌としてはリンカランとかリラックスがあって、そういう中央から流れてくる書籍と、ミニコミ誌、リトルプレスがあって。大橋歩さんのArne、あれをずっとやりたくて。書いてる人の視点が一冊ぎゅっと詰まったものがやりたいなと。雑誌というか個人情報発誌。自分の興味のあること。まずは漆ですね、漆の作家さんに出会って地元の手仕事を見て、そこに高松張子、鞠とか下駄とか。仕事じゃなくて、単純に、一個人の興味本位、好奇心で探り当てていったのが、2006年から2009年ぐらい。2008年に事務所を移動して、お店、ギャラリーを構えるんですけど、そこから自由に見てもらえるようにしたので、人のつながりは一気に増えましたね。でも、なんか大変でした。私何者やるってちょっと迷い始めた。私はデザインをしたいんだけどなあ、って。リトルプレスのIKUNASを出した時は、どっちかと言うと、東京の元同僚とか、向こうに投げてたボールが、気がついたら地元でもボールがかえってきて。そこに愛着も出てくるし、自分がここで認められた、だからがんばろうという想いが積み重なって続けるという思考が生まれてきたんですよね。決して狙ってとかいうのではなくて。
柳沢:考えて行動に入ったプロジェクトは、いろんな地方の事例をみてても、結局続かないことも多い気がするね。
久保:私、元々スタイリストになりたくてファッションの勉強をして、そこから雑誌に携わるようになった裏方志望なんです。モデルさんをどう見せるかとか、洋服をよく見せようとか、ある素材、点と点を結んでどう形をつくるか、という雑誌の編集に携わりたかった。かつ自分の名前で仕事をしたかった。フリーランスになりたかった。自分の名前でコーディネートができたらいいじゃないですか。名前でスタッフクレジットが入るんですよね、雑誌のページって。それがやりたくて、今やってる事も全部同じで、まずリトルプレスをしたのも、だれの視点で編集してデザインしたか全部クレジットを入れるようにしたくて。今もそうなんですけど、そういう媒体をしたかった。伝統工芸の付加価値を自分たちで編集して、ひっつける相手を見つける。デメリットを補完するような提案を見つけてくる。どこかメーカーさんや作り手さんとデザイナーとつなげる、これが今仕事になってる。これも全部デザインだと思ってます。デザインは伝えたいことを見える化することなんです。
柳沢:デザインで今求められてるのが、「イノベーション」とも言うけど、何かと何かをくっつけること。自分目線で素敵なことを形にしてみせる。混沌とした時代に、新しいものよりも組み合わせ、リミックス。新しいものを作らなくても、あるものを掛け合わせたり足したり引いたりする事が、今の香川では大事だと思う。ちょっと先の楽しい未来をこうだよって提示できたらいいよね。僕らの仕事で。未来を僕ららしく、提示できる。好奇心とか好きって気持ちだけで。だからデザインが好きなんだ、って自分で感じたんだよね。結局これだけ続けてるってなんだろって思うけど。umieの場合はデザイナーでありながら新しいものを使わない。身の回りにあるものを集める、新しくしないことだと考えた。バブルのあと、僕らがやってきたものは全部潰れていくし、ビルも閉鎖されていった。気づいて周りを見渡したらオートバイの部品がさ、灰皿になるじゃんみたいなことを思いついてくる。デザイン的な視点だったり、デザインの頭脳でそう見える。港の漁師さんが座ってる椅子がなんかかわいいとか。新しくなくて、錆びてるもののかっこよさに気づき始めた。ほんとそこですごく変わった。
久保:香川のデザイン、土着のデザインを育てる、つくる、つなげる。。。2社が携わるタイミングは今なのかな、って思います。和田邦坊さんのデザインが、なぜ今残っているのか。そのパッケージデザインの強さもあるけど、彼のデザインを誇りと思ってるメーカーさんが元気におられて、そのデザインを大事にしようと額に入れて飾ってるわけですよ。そういう次の何かデザイン的遺産というか、土壌を育てる。そういう事をこのBLUE STORIESから発したい。勉強会もやって色々広めていきたいですね。共感してくれる人とか次につなげてくれるような人と。ここのお店もいろんなクリエイターを巻き込んだら面白いなと思う。次の世代がこの土壌でもかっこよく仕事できるってことを証明して、自信をつけてあげたい。それからいい考え方とか、努力を積み重ねてきた人たちのお披露目やふれあいの場にしたい。やっぱり必然性を感じました。
柳沢:デザイン的思考は問題を解決したり、社会とか人生をより楽しくする思考だと思う。
子供たちは夢や未来に向かってるし、それがないともうやってられないと思う。デザインは幸せを描くことができるし、そのことをこの場所から月ちゃんと一緒に伝えたいです。香川のデザインを育て、つくり、つなげてBLUE STORIESから発言したい。
DESIGN SESSION
ドリームネットワークアクティビティ代表取締役 柳沢高文
tao.代表取締役 久保 月

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