讃岐一景を訪ねて_vol.02

重要文化財_細川家住宅

November 14,2023

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  • 香川の建築

重要文化財民家には、長い年月を掛けて蓄積されてきた
「地域ならではの生き方」が詰まっている。

 香川県内には小比賀家住宅、旧恵利家住宅、細川家住宅、旧下木家住宅、旧河野家住宅の5件の民家が重要文化財に指定されている。この5件の内、「旧」の字が付けられている3件の民家は、所有者の手を離れ、建物が所在する基礎自治体や四国村ミウゼアムにより管理されている。そのため、香川県内で建設当初からの所有者の元で管理され続けているのは、小比賀家住宅と細川家住宅の2件のみである。現在、全国には重要文化財に指定されている民家は360件あるが、「旧」の字が付かないことを誇りに懸命に守り続けられている文化財所有者は多い。
 それぞれの重要文化財民家は地域の歴史や建築技法と深く結び付き、その地域の水準を示す「ものさし」のような存在と言える。この一つ一つの「ものさし」が各地域の豊かさを伝える重要な役割を担い、各地域を理解する上で多くの情報を内在している。民家研究の権威として数多くの民家の保存に関わられた伊藤ていじは「民家は、その地方の身分証明書」と語るように、地方・地域を深く理解するためには民家は欠かせない存在と言える。

建築考01_守り続けてきたからこそ生まれた価値

住宅は消耗品なのか。住民はいつまで消費者でいるのか。

 重要文化財に指定されている360件の民家も建設された当初は、ただの新築民家であった。この新築民家が世代交代を重ねながら大切に引き継がれてきたからこそ、歴史的な価値が付加され、時代の変化と共に失われた建築技術や貴重な材料が残されてきたからこそ重要文化財として保護される民家となった。もちろん、長い年月に耐えられる材料を厳選し、修理を繰り返すことができる工法を採用してきたからこそ、価値が失われなかったのだろう。
 一方で、住宅・土地統計調査(1998年、2003年)によると、日本の住宅は建築後約30年で解体されており、国土交通省の国際比較資料によれば、アメリカでは約55年、イギリスでは約77年と日本の住宅寿命の倍近い数値を示している。また、国内の住宅は1981年以降に建築されたものが60%ほどを占め、1950年以前に建築された住宅は5%以下とイギリスの平均解体築年数に達する住宅がほとんど存在しないほど、住宅が消耗品となっている。これに対して、イギリスでは1950年以前に建築された住宅は40%を超え、住宅を適切に維持管理できる体制や築年数を重ねた住宅に対する価値観にも大きな違いが見られる。
 平成27年度に内閣府で実施された「住生活に関する世論調査」によると、住宅を購入するなら「新築の一戸建住宅がよい」が63%、「新築のマンションがよい」が10%と新築住宅を選択したいと回答した国民が73%を占めている。新築を選択したい理由として「間取りやデザインが自由に選べるから」が66.5%、「すべてが新しくて気持ちがいいから」が60.9%と、まるで服を選ぶ時と同じような感覚で新築住宅が購入されているようにも感じる。さらに、平成30年の住宅・土地統計調査では、国内の総住宅数は6240万戸となっており、平成25年と比較すると177万戸(2.9%)増加している。この増加に伴い空き家は平成25年から29万戸増加し848万戸となり、住宅の飽和状態が深刻化している。
 香川県では、平成30年の段階で48.8万戸の住宅があり、その内8.6万戸(18.1%)が空き家であり、全国の空き家率13.6%を遥かに超える数値となっている。さらに徳島県は19.5%、愛媛県は18.2%、高知県は19.1%と四国地方全体で極めて高い空き家率を示し、深刻な四国地方の課題となっている。こうした状況下ではあるが、平成31年に香川県立ミュージアムにて、東かがわ市とさぬき市の2市を対象に、衛星写真から茅葺屋根の形式を持つ民家の分布調査が実施された。東かがわ市では256件、さぬき市では531件、合計787件が確認された。茅葺屋根の形式を持つ民家の多くは明治期頃までは県内の各地域で建築されていたことから、県内全域で推測すると数千件の築100年を超える民家がまだまだ残されている可能性が高い。これらの建築と向き合うことができる最後の機会であり、我々は大きな岐路に立たされていると感じる。
 こうした住宅が抱える問題を一人でも多くの方と共有することで、世代を超えて引き継がれてきた民家の価値や所有者の思いについて考え、改めるきっかけになればと願う。

建築考02_重要文化財民家の所有者の現状

 平成28年にNPO法人全国重文民家の集いが207件の重要文化財民家の所有者へアンケートを実施(回答数は約100件)し、所有者の厳しい現状が見えてきている。アンケート時点の数値になるが、民家所有者は60歳以上が80%を占め、平均年齢も73歳前後と高齢化が進む。この所有者の内、約4割が年金のみが主な収入であり、残りの6割はサラリーマン等の職に就いており、不動産収入等で維持管理費を賄える所有者は全体の1割にも満たない。こうした厳しい経済状況の中、民家が所在する自治体へ譲渡されるケースも見られるが、民家を公開、活用しながら維持管理していくためには、民家の規模等にもよるが数百万円から数千万円の経費が必要となる。自治体所有の場合には、地域住民の理解を得るためにどのように還元していけるかが大きな課題となっている。理解を十分に得られない場合には、日常管理が行き届かなくなり、建物の劣化を招くという悪循環に陥る危険性が高い。また、所有者の多くは民家と共に先祖代々執り行われてきた各民家の伝統行事等も継承されている場合もあり、所有者が民家を手放すことにより、長年受け継がれてきた伝統行事も失わることになりかねない。
 重要文化財の民家を適切に保護していくためには、所有者の厳しい経済現状に合わせて行政機関がサポートする必要がある。国の指定を受ける重要文化財については、国が保存修理等に必要となる経費を所有者の経済状況に応じて50%から85%まで補助し、残りの経費を都道府県、基礎自治体、所有者で補助・負担している。重要文化財民家を修理するには、現代の住宅では用いられることが無くなった材料や工法などを用いて実施する必要があり、修理費も年々増加傾向にある。茅葺屋根の民家が一般的に建設されていた頃であれば、地域住民で協力し合いながら維持管理することができたが、現在は茅葺職人にお願いして修理を実施する民家が大半である。そのため、茅葺屋根の修理の目安と言われる10~20年に1度は痩せてしまった茅を継ぎ足す差し茅修理等のメンテナンスが必要となり、規模によるが屋根全体に及ぶ場合には数千万円の費用が掛かり、その都度、所有者には負担が発生している状況である。
 このように所有者は様々な面で厳しい状況にあるが、それでも先祖から引き継いだ民家を次世代へと継承し続けるため、日々、民家の管理に取り組まれている。もちろん、引き継いだ責務を果たす思いも強くお持ちであるが、民家に対する愛着も大きいのだと感じる。

建築考03_重要文化財細川家住宅について

・立地

 細川家住宅は、さぬき市多和額東集落に建つ山間民家である。額集落は室町時代に活躍した武将真部助光の名田であったため、真部氏の旧姓である額から伝わる歴史的背景が色濃く残る地であり、額集落の近くには助光という集落もあり、室町時代以前から人々の営みがあった。
 額集落は、阿讃山脈の徳島県との県境近くの標高400m程の位置にあり、冬季は積雪が20cm程となり、温暖な瀬戸内地域の中では厳しい環境と言える。各集落間を結ぶ道は、徳島県美馬市脇町へと繋がり、讃岐と阿波を結ぶ重要な道として大変賑わったと言う。また、道中には八十八番札所である大窪寺があり、巡礼者を運ぶ遍路道としても機能している。

・重要文化財民家としての価値

 細川家住宅は昭和41年5月に開始された香川県民俗学会員による多和地域の民俗調査によって発見され、昭和44年5月から香川県内の民家を対象として実施された緊急民家調査により価値が定まり、昭和46年6月に重要文化財に指定された。
 細川家住宅は、背後の山林等の周辺環境の影響を強く受けていると考えられるが、正面を南西に向けて建て、桁行6間半(12.8m)、梁間3間(6.1m)の寄棟造の建築である。屋根は茅材が用いられ、軒先まで茅で葺かれた「ツクダレ」形式の屋根形状をとる。内部は横一列に各室が設けられ、東側に上手の「ざしき」が竹床、「ざしき」西の部屋が土座、西側に広い土間(にわ)を設けた三間取り広間型の古式平面構成とする。外壁は土壁の大壁造り、外部と内部を仕切る建具は、片袖引込戸の構えをとるなど、部材や工法の特徴から18世紀中頃に建設された可能性が高いと判断されており、築250年を超える民家として価値が高い。
 生活様式の変化の影響を受け、間取り、床廻りの改修は行われてきたが、構造部材を活かした改修であったため、柱等に残る加工の痕跡から建設当初の姿に復原することができ、東讃山間地の民家として特色ある姿を取り戻した。土間(にわ)には、大かまど、かまど、からうす、土座にはいろり、「ざしき」にはとこ、ぶつだん、物入などが設けられ、当時の暮らしぶりをよく伝える。

建築考04_細川家住宅が積み重ねた暮らし

 細川家は代々この地で暮らしてきた農家であるが、どのような経緯でこの地での暮らしが始まったかについては伝わっていない。ただし、250年前には現在の細川家住宅が建設されていることから、山間地域ではあったが外部との交流も十分になされ、建築技術なども十分に伝播していた地域であったと考えられる。
 現当主の細川文夫さんは、高校を卒業するまで細川家住宅で生活をされており、当時の暮らしについてお聞きした。まずは、夏の涼しい室内の心地よさについて印象深い思い出とのことだった。風の通る室内に蚊帳を吊るし、兄弟と勉強したり、話をして過ごしていたそうだ。細川家住宅の茅葺屋根は一度も金属板等で覆った記録が無いそうで、茅葺屋根のもつ断熱性能が室内の涼しさをより高めていたのだろう。
 文夫さんが生活されていた頃には、土座には床板が張られ、南側と北側が襖で仕切られ、南側を「みなみざ」、北側を「だいどころ」として使用されていた。また、復原された竹床の「ざしき」には畳が入れられ、生活環境の改良が行われていた。畳の間へと改修された「ざしき」にて、4人の兄弟と祖父母と寝起きされていた。両親は、細川家住宅の西側に建つ納屋を改修した建物で寝起きをされていたとのことで、当時の暮らしぶりが伝わってくる。細川家住宅には納屋の他には収納スペースが限られており、「ざしき」北側の「とこ」を「ものおき」に改修され、物が手に入りやすくなった時代を反映させた姿へと変化していった。水回りの設備は室内には設けられておらず、家の東側を流れる沢の水を利用されていたようだ。復原工事前には入口外西側に小便器と五右衛門風呂が設置され、大便器は住宅から少し離れた南側に小屋が建てられている。
 普段は太陽と共に生活することが当たり前で、朝5時過ぎには起床し、太陽が沈めば早めに就寝する日常であったようだ。文夫さんは高松市内の高校へ通学するため、片道1時間程度バイクで通う生活だったと言う。現在は町までの道がかなり整備され快適になったが、当時は舗装もされておらず、大変な道のりだったそうだ。特に冬期は積雪のある地域であったため、積雪の量によっては休まざるを得なかったと言う。家に居ても吹雪いている時には、屋根と壁の隙間から雪が吹き込み、厳しい寒さを体験されている。ただ、文夫さんは慣れてしまえば、どうにかなるもんよ。と建築に合わせた順応した暮らしがあったそうだ。冬場には、大きな火鉢に火を入れ、暖を取っていた。この大きな火鉢を家族みんなで囲みながら楽しい時間を過ごしたのだろう。現在その火鉢は文夫さんが暮らす住居の前で金魚鉢として使われているが、この火鉢が持つ歴史を知ると今後も細川家の暮らしを伝える大切な道具の一つとして残していってほしいと思う。

 文夫さんが学生時代の細川家の生業は農業と林業が生活を支えていた。畑では、米を中心に栽培し、サツマイモや麦なども作られており、山の際まで畑が広がっていたと言う。また、祖父からは家を建て替えるよりも山を買った方が良い。という会話があり、集落に住む多くの人が山を所有し、農業だけではなく林業を営まれていた。定期的に山の木は切り出され、まとまったお金になったのだろう。木の伐採や運搬などは専門の業者に任せており、山林の保全が仕事だったと言う。現在も細川家住宅の周囲は山林に囲まれているが、林業が盛んだった頃は、人の手が入った美しい山だったはずである。今では人家の前まで猿や猪が出没し、農作物を荒らす被害が発生すると言う。昔は猿や猪が人家まで出没することはなかったらしく、森の管理ができなくなり、人と動物の距離が近くなったことを寂しく思われているように見えた。山を管理するために不要な樹木は伐採され、その樹木は炭に加工され販売していたと言う。炭焼小屋は細川家住宅の南側の谷違いに設けられ、幼い頃は祖父に背負われて小屋まで連れて行かれた思い出をお聞きした。文夫さんにとって細川家住宅の前に広がる山には多くの思い出が詰まった特別な風景なのだろうと強く感じた。

建築考05_民家を楽しむために

 文化財建造物にとって工法や材料、建設年代、地域性などは重要な要素であり、保存修理工事の際には、その価値を損なうことがないように工事が実施される。建築という形の有る有形文化財であるため、当然の配慮ではある。しかし、その価値一つ一つを見学者に理解してもらうことが必要かと言うと、そんなことは無いのではないかとも思う。
 では、見学者に何を理解して欲しいのか? 文化財建造物は「大きなタイムマシーン」だと思っている。民家であれば、建築空間や周囲の環境に身を置くことで、数百年前の人と同じ風景が目の前に広がり、流れる風、包み込む音から、その民家が持つ歴史的な営みに触れられるのではないだろうか。内部空間からは人の動きや各部屋の役割が見え、民家の営みがよく表れている。擦り減った部材があれば、そこに人の動きを強く感じるように、傷一つ一つに営みの痕跡が残されている。その痕跡の意味を知ることで、より深く民家の魅力を理解できるのではないだろうか。
 各地域の歴史的な営みを知るには、書物等から推測する方法もあるが、やはり建築空間に身を置く空間体験には、書物等からでは感じ取ることができない立体的な歴史的な営みに触れることができる。民家研究の権威として数多くの民家の保存に関わられた伊藤ていじは「民家は、その地方の身分証明書」と語るように、民家を通して、その地方・地域に所縁のある全ての人に語りかけてくるものがある。ただし、建築という箱のみを保存する方法では、暮らしや営みを感じ取ることは難しい。だからこそ、暮らしや営みも含めた保存に取り組むことが民家の活用にとって重要であり、住民の方からの証言は、建築の価値と両輪を成すものと考える。
 香川県内には、5件の重要文化財民家があるが、建設当初の位置に建ち続けているものは、小比賀家住宅と細川家住宅の2件のみである。小比賀家住宅は支配階層であった庄屋格の邸宅であるため営みについても華やかな部分が多分にあり、地域の文化水準の高さを示す。その一方で細川家住宅は、山間民家として慎ましい庶民の暮らしがあり、多くの方が共感できる穏やかな営みの痕跡を見つけられるはずである。

建築考06_おわりに ―暮らしに拘る―

 人生最大の買い物と言っても過言ではない住宅購入。「古民家なんて」、「中古住宅なんて」と切り捨てる選択は見直した方が後悔の少ない選択になると思う。「持続可能」という言葉をよく聞くが、これだけ空家が増えているにも関わらず、何故こんなにマンションが建設され、宅地分譲が続いているのか。新築の住宅やマンションは古民家のように100年先も住み続けることができるのだろうか。その一方で、1,000万円も掛ければ快適に住み続けられる築100年を超える民家の解体が相次いでいる。瓦屋根の家が減った理由も耐震性能の問題等もあるだろうが、瓦屋根の持つ耐久年数が求められなくなったとも言えるのではないだろうか。メンテナンスに費用を掛けることが悪いかのようにメンテナンスフリーを打ち出す建材は何年持つのだろうか。
 働く場所に縛られない仕事の仕方が増えている。だからこそ、どこで暮らすかにもっと拘りを持つべきだと考える。選択された場所には、長い年月を掛けて造り込まれてきた民家が残されているはずである。拘って選択した場所だからこそ、地域の魅力が詰まった拘りの民家が欲しくなるのではないだろうか。

文:石田真弥/1985年静岡県生まれ。公益財団法人文化財建造物保存技術協会技術補佐員、独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所アソシエイトフェローを経て、2020年から香川県教育委員会の文化財専門員(建築)として勤務。県内の文化財の保存・活用を通して文化財の魅力を発信をしている。

讃岐一景_vol1 登録有形文化財 漆原家住宅

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