【中津万象園】思い思いに煎茶を愉しむ 海辺のサロン vol.2
May 01,2018
2013年の初冬、香川県をにぎわせたニュースがありました。
中津万象園の「観潮楼」が、日本最古の煎茶の茶室として、文化財的価値が高いと分かったのです。
煎茶道は、中国から伝わり江戸後期に広まった文化で、気軽に茶を楽しみ、自由且つ気高い哲学論を交わすのが作法。
つまり最終的には仙人を目指すという精神の文化。
観潮楼はその流行のごく初期、五代・高中(たかなか)の頃に建てられました。
まさに文人気質の京極家の面目躍如たる建物でした。
【茶道の最先端をとりいれた京極家】
煎茶道は、江戸時代初期に禅宗の一つである黄檗宗の僧侶・隠元が中国から日本に伝えられました。
江戸後期から明治にかけて、形式を重んじる茶道を堅苦しく感じる人たちの間で大流行し、中津万象園の「観潮楼」が建てられたのはその流行のごく初期。京極家が、いかに文人気質で進取の気質だったのかを示しています。
現在、煎茶室は全国に約50棟。今まで、19世紀の京都に建てられ、思想家の頼山陽の終の棲家となった「山紫水明処」が、最古とされていましたが、文献での観潮楼の記載は、1781年まで遡ることができます。
【人々に開かれた茶室、観潮楼】
当時、「観潮楼」からは海が見えたと考えられ、京極家の人々の日々の娯楽の場として、親しい人を招くちょっとしたサロンとして使用されました。池に面する2方向の障子を開ければ庭の景色を眺めることができ、閉じられた空間をよしとする抹茶の茶室とは対照的な造りです。
また、お茶室については、1通の興味深い「おふれ」が出されたことがありました。
「自然に往来する際、静かに拝観するのはよいが、酒や弁当、三味線を持ち込んで大騒ぎをしてはいけない」というもの。
つまり、ハメをはずさなければ一般庶民の立ち入りも黙認されていたということをあらわしています。
大名庭園らしからぬおおらかな管理で、庶民にも親しまれる庭の姿がしのばれます。